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「ぬかよろこび」14話がダメSIerだった自分にとにかく刺さった話

書評

ようやくうれしーの「ぬかよろこび」を読みました。

札幌に単身移住した理由の半分くらいがどうでしょうってくらい水曜どうでしょうの大ファンであり、DVDも全部持っていて、「腹を割って話した」も「ひらあやまり」も読んでいましたが、私自身の転職のゴタゴタだったり、娘が生まれたりという言い訳をしつつ、発売されてから半年以上経ってようやく購入し、購入してからも半年以上経ってからようやく10月から読み始めたわけです。多分、自分にとって今が読む時、というのが来たんだと思いまして。そして読んでいるうちにビシビシ刺さってくるので書評と言いつつ自分語りがしたくなりこうして記事を書き始めました。色々な感情が出口を求めてグルグルしているから発散する為でもあります。

職場で心を閉ざしがちなので2話が刺さる

本題は14話の「私の人生の恩人たち」が一番刺さったんですけど、今の職場で上手くいっていないと(自分では)感じているのもあり、第2話なんかもすごく刺さってくる。うれしーが珈琲の話から自身に起きたことを俯瞰的に観察し、推測した結果として以下のような結論に至ります。

つくづく思う。自分を守ろうとして不用意に人前で心を閉ざしてしまうと、余計に自分を窮地に追い込んで損することになるのだと。

転職して10ヶ月くらい経って、仕事が自分に合わなくて辛くなってきていて、そこを始点に職場の人間関係も少し上手くいってなく次への転職活動も目処が立たない自分にとって、ガツっと刺さってくるわけですよ。まさに自分を守ろうとして心を閉ざしてしまっているなと、それが原因でより上手くいかなくなっていくのかなと。辛い状況に陥ってより固く固く心を閉ざしていってしまう負のループにハマってきているんだと気づいたわけです。

だからといってハイそうですか、とはなかなか自分を切り替えることはできないですが。ガチガチに心を閉ざしていますから、簡単に開けるようであれば苦労しません。決して開けないというわけではないのですが、子供のように意地を張っているのか、また傷つくのを恐れているのか、もうちょっとこの状態で生きていかないといけないようです。

会社の飲み会も最近はあんまりいく気なくて参加してないですしね・・・。仕事していると、仕事の話はしますがあまりプライベートの話はしないんですよ。してる人はしてるんですが、古参の人と言うか、仲良い同士では職場で定期的に話ごえが聞こえるんですが、私は仕事のプレッシャーと言うか、職場のプレッシャーと言うか、それどこじゃない精神状態で何とか日々をこなしているので、そう言う面でも心を開けないんでしょうね。

 

私はただ社内で長年、お互い見知っているのに話したこともない人がたくさんいることにある日気づき、これはこの際、お互い話してみるべきじゃないのか。人と話すこと、それが巡り巡って日本の未来のためになるのではないか、そんなら話す口実、キッカケとして会社でカフェをやってみるのはどうだろうと思いつき、行動に移しただけである。

大きい会社ってずーっと社内の改革って言うのを目標として掲げていて、「グループ会社一丸となって」的なお題目が定期的にメールで飛んでくるのですが、二つ机の島が離れたらもう名前も知らないような状況で、知る機会もない状態で一体どうやって一丸になるんだろうと思うんですね。そんなすごく大きい規模でいきなり、それこそ同じ会社だとしても知らない人から「一丸となってやれよ」と言われて目的が果たせるのかはずーっと疑問を感じています。

本当に必要なのって大規模な改革じゃなくて、ちょっと心をほぐす事だと思うんですよ。気持ちを少し油断させて、愚痴を言ったりして。その愚痴が別の部署ではいい具合に解決する方法を持ってたりして、ないなら解決していこうよ俺もそれ解決したいんだよ協力するからさみたいなのが本当の一丸なんじゃねぇのと思ってみたり。や、決してコーヒーをタダ同然で飲みたいという下心があるわけではなくてね。

あの頃の自分に言ってやりたくて14話が刺さる

要約すると「どう考えても20日かかる撮影を10日で撮れと言われて、10日で撮影しろと言われたんだから10日で撮れるのかなと思ったけどやっぱり最初思った通り20日かかって、現場に迷惑かけて、本当にやるべきは『俺にやらせるなら20日かかります』と言うことだった」って話です。

大手IT企業の子会社に新卒で入社したんですけど、配属された先が既に炎上していて、最初の二年くらいは何とか火消しに参加している感じでそこまで残業はなかったんですけど、二年目後半くらいからですかね、だんだん不具合修正のスケジュールとか丸投げ私がたてる様になるんですけど、どう考えても不具合が多すぎて締め切りに間に合わないんですよね。オフショアへ出す分の往復時間とか、手を動かせる人の空き具合とか、バンバンくる現場からの調査依頼のバッファとか検討するとどう考えても時間も人も足りない。

それで上司に相談しに行くんですよね、「通常のバグ対応もありますしどう考えても全部は間に合いません。優先度が低い不具合は次回に回せませんか。」でも上司は断固として全てやりきることを諦めないんですね。「間に合わせるのが君の仕事だろう」と。それで社会的な経験もまだそれほどない自分としては、「そうなのか、これを間に合わせるのが俺の仕事なのか」と思ってしまったんですね。でもやっぱり終わらなくて、終電まで残るのでも早い方で、だいたいタクシーで帰ってました。そしてちょっと寝てまた会社に行くと言う典型的な炎上スタイルを余儀なくされました。2、3回くらいはこっちがそう言う感じで勤怠の正常化を図ろうとすると、無理なスケジュールでも全部終わらせるんだ的なスケジュールになって返ってくるんですね。そうすると人間もう思考は放棄します。「あんた(上司)の気が済む様にやりゃあいいんでしょ」となり、勤怠も勤務態度も仕事の質もモチベーションもどんどん落ちていきます。精神的に追い込まれ、長時間残業からの極度の寝不足もあり、ついにはうつ病で休職→退職という道を辿っていきます。

うれしーも当初は「10日でやれって言ったからで、俺には責任はない」と考えていた様ですが、自分と違うところはその後、適切に自分の責任だったと振り返っているところですね。

自分の考えに自信が持てなかったら押し切られてしまったのだと思うのです。

つまり、押し切られて相手の主張に乗る方が楽だと、そのとき私は無意識に判断したということです。

でも、それは結局、自分の考えを失う瞬間でした。

あの瞬間に私は自分の頭で考えなくなったのです。

私も何度やりとりしても態度を頑なに変えない上司とのやりとりに疲れてしまい、思考が楽な方に流れてしまい、結果として三年程度人生を棒に振ってしまいました。(仕事ができない年月は三年程度ですが、その空白の影響はもっともっとあるでしょう)

あのとき。「20日もかかりそうなら、それを10日でやりきるのがお前の仕事だろう」と言われた、あのとき。本当なら私は「それは違う」と言わなければいけなかったのです。「それは違う。少なくともオレを雇うのなら現場は20日はかかる。どうしても10日でやりたいなら、10日でやってくれる人を探してその人に頼んでもらうしかない。経験の豊富な人なら10日でやれるかもしれない。でも、オレがやるなら20日かかる。その代わり、20日もらえるんなら絶対20日で撮りあげる」

この段落がすごく今の自分に刺さるんですね。なんだかこう、あの頃の気持ちが塞がってついには起き上がれなくなった自分に対して、うれしーがすごい熱量で言ってくれている様な、そんな気がするんですよね。紙に印字された文字なんだけど、私にとってはなんだか熱を帯びた一文に見えて、本当に辛い思いをして、その失敗から本当に必要なモノを学んで、それを今でも大事にしているのが伝わってくるのです。職種は違えど同じ経験をしたからかもしれません。見当違いの勝手な思い込みかもしれません。でも私にとってはほんの少し、救われた様な気がします。辛い経験ですが、大好きな番組を作っている人と同じくらいの年齢で同じ様な経験をしましたから、同じ札幌に住んでますから何かの縁でビールでも飲みながら、「君も同じ様な経験したんだって?」とか言われるかもしれませんからね(妄想)

 

誰からも疎んじられるほどの大きな失敗からは、学ぶことが多いのです。

でも、人がそこから多くを学びとるためには、「あの失敗は本当に自分のせいだったのだ」という素直な自覚にたどり着く必要があるのです。

私は残念ながらまだあの時の失敗を自分のせいだったと素直な自覚にたどり着けていません。悲劇のヒロインでいようと思っている訳ではありませんが、傷が未だに癒えていないのか、すっぱりと断ち切る様な性格ではないからなのか、未だにずっと腹の底に重いモノが残っている感触があるのです。

実はこの話の冒頭を読み始めた時、「腹を割って話した」でも話していて、あれこの話前に読んだぞと思ったんですが、ただそこではすごく短い顛末しか載ってなくてその後どうなったとか、どう立ち直ったとかそう言う話はなかったんですよね。

「ぬかよろこび」ではその後、どうやって立ち直ったかまでお話があり、前半は「うんうんわかるようれしー、俺も全く同じだよ」みたいな感じでしたが、後半は、言葉が出ないくらい羨ましい限りでした。

「居るだけでいいのよ」

当時の私に、その言葉をかけてくれる人がいれば、もしかしたら休職し、退職して社会に復帰できないかもしれないと思うほど追い込まれなかったかもしれません。

私は「居るだけでいいのよ」と言ってもらえて「あぁ自分にはまだ居場所があるんだ」と気づくことができたのです。気づいて私は深く安堵した。そして私はまた素直な気持ちに戻ることができたのです。

残念ながら私はあれから数年経ちますがまだどこかで「納得する」ことができないまま、なんとかなんでもないフリをしながら社会に復帰し、世の中に不貞腐れながら、良くないと思ってはいるんだけど素直になることができずに心も閉ざして、暗澹たる思いで日々を過ごしてしまっているのです。二重三重に負のループにハマってますね。

いつまでもいじけてる訳にはいかないんですが、私にはまだ世の中に対して安堵できず、自分を守る反応が出てしまうのだと思います。

だからもし、あのタイミングで「居てちょうだい」と監督とプロデューサーに声をかけてもらえなければ、私がその自覚へ至ることはなかったかもしれない。

いや、私はもうここには居なかったかもしれない。

でも、自分にはまだ居場所があると気づかせてもらえたおかげで、やっと私は「あの大失敗は、やっぱりみんな自分が原因だったのだ」と納得することができた。そう思うのです。

もし私が水曜どうでしょうにハマらなければ、もし私が嬉野雅道という人に、書いたものに興味が出なければ、もしうれしーがこの話を書いていなかったから、私はずっとずっと、この先も無自覚に不貞腐れ心を閉ざし、人の所為にして吹っ切れない重いものを背負い続ける以外に方法がないと思い込んでいたかもしれません。そしてどこかで人生の幕を降ろしていたかもしれません。

残念ながら私はまだ「納得」するキッカケを得られていませんが、今後出会う人がキッカケになるかもしれない、今後の経験がキッカケになるかもしれない、時間が解決するかもしれない。

そして「納得」する為には、自分が真摯な態度で日々を過ごさなければ、チャンスがあっても逃してしまうかもしれないし、チャンスすらこないかもしれません。そこが今の自分と当時のうれしーの差なのかもしれません。

書評というかただの感想文だな?

感想文ですらなく、自分語りですね。もしくは長い長いファンレター。

実は14話(というか、10話くらいから)を読んだのは、東川町でした。

なんで東川町かというと、「君の椅子」プロジェクトという取り組みがあり、娘が産まれた時に奥さんの両親がこの椅子を贈ってくれたんですね。そのプロジェクト内で君の椅子と子供の写真コンテストの案内が届きまして、義母と奥さんが写真を送り、佳作をいただいたので表彰式に出席する為に前乗りして宿泊した部屋で読んでいたのです。奇しくも君の椅子のコンセプトも「君の場所はここにあるよ」というのは盛り込みすぎでしょうか。

ある程度日中は観光して、近くの温泉に入り、娘と奥さんと義母は早めに寝たところで読んでいたのですが、10話から14話っていうのはエモいんですよ。こんだけの文字数で語り足りないくらい語りたい14話の前から、心を動かされ続けていた後に満を辞して14話でもうこの日の夜は感情の発散が追いつかないくらいでした。家だったら夜を徹してこれ以上に暑苦しい文章を書き上げていたでしょうが、残念ながら出先。パソコンも今回は持ってきていませんでした。

文章化することで、モヤモヤとエモいと感じていたことを具体的に落とし込むことができて、一歩、踏み出せました。この一歩を大切にして、時間はかかるかもしれないけど、この納得できない感情と付き合おうじゃないかと、その覚悟を持つことができたのではないかと。娘も猫も奥さんもいますしね。

ありがとう、うれしー。

といったところで、自己満足したのでこの辺で終わろうかと思います。ただただ熱意だけで書いてしまいましたがご容赦ください。